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Los Amigos Invisibles インタビュー135号

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 南米はブラジルの北側に位置するベネズエラ出身のロス・アミーゴス・インビシーブレスは、ここ10年で着実にキャリアアップしてきた実力派ダンス・バンドだ。メンバーは、ホセ・ルイス・パルド(ギター、DJ)、ホセ・ラファエル・トレス(ベース)、マウリシオ・アルカス(パーカッション)、アルマンド・フィギュエレード(キーボード)、ホアン・マニュエル・ラウラ(ドラム)、フリオ・ブリセーニョ(ボーカル)の6名。'97年にデビッド・バーンのルアカ・ポップから『The New Sound of The Venezuelan Gozadera』を発表、2000年には名盤の誉れ高い『アレパ3000』がグラミーにノミネートされ、一躍知られる存在となっている。2002年には、マスターズ・アット・ワークをプロデューサーに迎えた『The Venezuelan Zinga Son Vol.1』で、クラブ・シーンからの支持も固めている。
 そんな彼らが、ディミトリ・フロム・パリのプロデュースでニュー・アルバム『Superpop Venezuela』をリリースした。ラテンでディスコでラウンジなこの作品、どうやらちょっと変わったコンセプトを持っているようだ。
 現在はNYに住むホセ・ルイス・パルドに話を聞いてみた。


―アーティスト名、“ロス・アミーゴス・インビシーブレス”は、とてもユニークな名前ですが、 何か特別な由来はあるのですか?
「僕らが子供の頃に見ていたTV番組があって、その司会者が必ずオープニングのあいさつで“やあ、透明の(invisibles)友達のみんな(amigos)!”と言うんだ。この番組はベネズエラの歴史や社会のことなどを解説する番組で、当時の子供はみんな見なくちゃいけなかった。僕らの世代でベネズエラに育った人だったら、ほぼみんなわかるよ」
―自分たちでパーティを始めたのが、活動のきっかけと聞いたのですが?
「若かった頃は、まだそんなにうまくなかったし、ライブをやる場所がなかった。それで、'90年代に廃れていたディスコでライブをやっていたんだ。僕らはみんなが楽しそうに踊っている雰囲気が好きだから、ライブだけじゃなくて前後にDJもするようになった」
―前作『Venezuelan Zinga Son Vol.1 』では、マスターズ・アット・ワークがプロデュースを手掛けていますよね。今作『Superpop Venezuela』のプロデューサーは、ディミトリ・フロム・パリです。クラブ系のアーティストにプロデュースを依頼する理由は何ですか?
「もともと僕らは踊るのが大好きだし、彼らの音楽のファンでもあるからね」
―今作に具体的なコンセプトはありましたか?
「曲は全部ベネズエラの有名なポップソングで、それを僕らなりにカバーしたアルバムなんだ」
―え?全曲カバーなんですか?
「そう、すべての曲はカバーで、ベネズエラで有名な曲ばかりなんだ。このアイディアそのものは前から暖めていたんだ」
―ベネズエラの人が聴けば知っている曲ばかりなんですか?
「'50年代のヒット曲もあれば'80年代の曲もあるので、全てのベネズエラ人がわかるとは言えないけど、50~70%はわかると思う。ベネズエラでは、このアルバムは1週間でチャートインしたんだ!素晴らしいよ!みんなとても気に入ってくれたし、自分たちの文化へのトリビュートの意味もあるので、僕らはとても嬉しいよ」
―全部カバーだと、ライセンスするのが大変ですよね。
「いやそんなことはなかったな。もう消息のわからない作者がいて、それを探すほうが大変だった(笑)」
―なぜタイトルを『Superpop Venezuela』にしたんですか?
「全部の曲がポップソングだし、友達や周りの人たちに聴かせたら“ポップだ、これはスーパーポップだ!”ってみんな言うから、そのコメントをそのままタイトルにしようってことになったんだ」
―過去のアルバム、そして今作でも、タイトルには“Venezuela”が入っていますね。
「僕らにとっての縁起かつぎなんだ。最初に出したアルバムに“Venezuela”と入れたら成功したし、次のアルバムにもタイトルに“Venezuela”を入れたら大成功だったから。僕らがアメリカ人ではないこと、ヨーロッパ人でもないことを人々にわかってもらいたい、というのもあるしね」
―ディミトリとの作業は、そのように進めたのですか?
「別々の土地にいるのにどうやってやったの?ってこと? ディミトリはよくDJのためにNYを訪れていたから、その度に2、3日スタジオにこもって作業をしたんだ。彼がパリで、僕らがNYというときは、録音素材をディミトリに送って、ちょうどリミックスのような作業をしてもらったよ。自分たちが演奏したサウンドが、全く違った状態になって戻ってきたから、とても面白くて興味深かったね」
―そうすると、あなた方のアルバムではありますが、ディミトリの要素も相当強いのでしょうかね。
「そうだね、ほぼ50:50じゃないかな」
―このアルバムの中でお気に入りの曲は?
「うわーたくさんあるなあ。シングルの「Yo No Se」は好きだね。6曲目の「Yo Soi Asi」もいいし、「No Es Facil Amar A Una Mujer」もいい。どの曲にも、それぞれ良いところがあるんだよ!
―「YO NO SE」、「Superpop Venezuela」は、中でもハウスっぽい曲ですね。
「クラブっぽい曲だ。この2曲はライブでよくやっているよ」
―「No Es Faciil Amar」、「Curda Y Pan」は、かなりジャズっぽい曲ですね。
「スパニッシュバンドがやるフラメンコが大好きだから、オーガニックでジャジーでファンキーな感じの曲をやってみたかったんだ」
―その他どの曲もホント楽しそうな曲ですよね。ロス・アミーゴス・インビシーブレスが提供する“ラテン・ミュージック”とは、どのようなものだと思いますか?
「僕らは自分たちに正直に、サルサを演奏したいと思ったらサルサをやるし、ハウスをやりたいと思ったらダンスミュージックをやるし、ファンキーな音がやりたければそうする。これが僕らのスタイルなんだ。何か好きなものを見つけたら、とりあえずやってみるのさ」
―2001年にNYに移住したそうですが、今もメンバー全員NYに住んでいるのですか?
「そうだよ!元気に楽しく暮らしてる。僕らはベネズエラの首都、カラカスの出身だけど、同じ土地にずっと住んでいると、何も変わらないままどんどん落ち目になってしまう。特に30を過ぎるとね。他の国に住むほうが、ミュージシャンとしての寿命が長いんだ。それに、NYから発信される音楽が好きだし、僕らのヒーローのほとんどはNYにいる。しかも、いろんな人が僕らを助けてくれるんだ。ルイ(・ベガ)やその周りの人たちなどがね」
―ベネズエラが恋しくないですか?
「ビーチとか食べ物とか友達や家族が恋しいと思うこともあるよ。でも、ベネズエラは以前よりも政情不安な国になってしまった。NYにはそういう不安はないからね」
―今後の予定を教えてください。
J: シングル「Yo No Se」のビデオをいま撮影しているところ。映像作家の知り合いが何人かいるので、彼らに協力してもらってDVDにまとめたいと思っている。今年の秋ぐらいにはリリースしたいね」

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