TOKTOK
TOKTOK インタビュー135号
ファビアンとナークによるトクトクは、'94年にスタートしたベルリンのテクノ・ユニット。スタジオを丸ごとステージに持ち出したようなセットで行うライブには定評があり、昨年は
そんな二人が、石野卓球のリクエストを受けて、platikレーベルからベスト盤『Temee!』をリリースする。『Run. Stop. Restore』『Tora Bora』『Toktok Vs. Soffy O.』といった人気アルバムからのトラックはもちろん、初期音源や今作の為に制作された「Brullaffe」なども含む17曲入り。アッパーなテクノ・トラックからキャッチーなエレポップまで、彼らの幅広い嗜好が楽しめる内容だ。 トクトクのテクノ観を探るべく、ナークから話をきいた。
―トクトクというユニット名の由来を教えてください。
「最初はグループの名前じゃなくて、純粋に見た目がかっこ良かったから、“TOKTOK”ってスタンプを作って、それをステッカーにして町中のあちこちに貼っていたんだ。その後音楽をつくるようになって、グループ名にしようという話になったんだ。誰にでも読める文字だし、人にも覚えてもらえるからね。それに、世界各国の言語でいろんな意味を持つ言葉なんだよ。日本語でも、いくつか意味があるんだよね?」 ―そうですね。今回のベスト盤のジャケットには、漢字で“特特”と表記されています。アイディアはあなた達が出したんですか?
「そうだよ。日本へ二度目に行ったとき、日本語を少し勉強したんだ。まだ漢字のテキストを持ってるよ。そのテキストの中から漢字を探したんだけど、”スペシャル・スペシャル”って意味でしょう? だからこれにしたんだ」
―あなた達がテクノ・ミュージック、エレクトロニック・ミュージックに興味をもつようになった経緯や、音楽を始めたきっかけを教えてください。
「ものすごく昔のことだ(笑)。僕らはかつて旧東側のスクワット(編注:住人のいない場所を不法に占拠したところ)に住んでいたんだ。その頃、”SPIRAL TRIBE SOUND SYSTEM”というイギリスのサウンドシステムがベルリンに来るようになった。彼らは巨大なスピーカーとシステムを車で持ち込んで、可能な場所ならどこでもパーティーをやってしまう連中だった。それで、同じスクワットに住んでいたイギリス人の友達が、彼らのためにパーティーをやろうと持ちかけてきたんだ。で、四日間のパーティーをやったんだけど、すごく良いパーティーになったよ。長時間のライブをやるのが彼らのスタイルで、そのときに機材の使い方や曲のつくり方も教わった。当時のベルリンには大きな空いた建物がわんさかあったから、パーティーやろうと思ったら、どこででもできたなぁ。パラダイスのようだったよ」
―その頃は、どんな音楽がメインだったんですか?
「ハードコアとか、ガバだね。
―トクトクのサウンドは、ハードなテクノ・トラックからエレポップ・テイストの楽曲まで、ヴァリエーション豊かですが、作曲するときはどのようにモード・チェンジしているんですか?
「単に別の方向性で行きたいと思ったら、そうするだけなんだ。1990年代は、みんなが同じような音楽をやっていて、そのスタイルに合わせないといけないような雰囲気があった。でも、僕らはそれが嫌だったから、自分たちなりの音楽をやったんだ。テクノだけじゃなくてね。他の音楽に対してもオープンになると、もっと面白いと思う」
―1990年代に大勢がやっていたスタイルとは、何を指しているのですか?
「ミニマル・テクノ。厳密な決まりに縛られていて、同じ音が繰り返されるだけで、僕はつまらないと思う。あれを一晩続けるのは勘弁してほしいよ(笑)。もちろん中には良い曲もあるけど」
―あなた達のトラックには、「Den Den Den」のようにユーモアを感じさせるものが多いと感じます。ユーモア・センスは、あなた達にとって重要ですか?
「自分たちのやることを楽しめないと意味がないからね。そこは最も重要な部分でしょう? テクノ・シーンは、ちょっとシリアスすぎることが多い。そんなのバカげているじゃない? どうせバカげているなら、最初からバカげたことをやっちゃえってことかな」
―今作にはソフィー・Oとの新曲「Too Late」を収録していますが、そもそもソフィー・Oと知り合ったきっかけは?
「その曲は一年前にホワイト・レーベルでリリースされた曲なんだよ。もともと彼女は友達の友達で、“スウェーデンから二週間の予定でベルリンに来ているから、彼女をどこかに案内してあげて”って言われて、一緒にクラブへ出かけたのが出会いだった」
―彼女とは息が合っているようですね。
「いろんなムードを出せる人だから、一緒ににやるのは簡単だね。楽曲制作も一緒にやるんだよ。今、彼女はソロ・アルバムに取りかかっているみたいだね」
―「Missy Queen's Gonna Die」は大ヒットしましたが、成功を予想していましたか?
「いいや。実際にヒットしたときは笑っちゃったよ。最初につくったときは、まだ未完成だと思っていて、僕ら三人とも気に入ってなかったんだから。あれは、ソフィー・Oとやった最初の曲だね。でも、とにかくヒットして良かった」
―デビューしてから10年以上経つわけですが、テクノ・ミュージックの変遷についてはどう見ていますか?
「すべてが回りまわって戻ってきてるね。80'sサウンドが流行ったり、アシッド・リヴァイヴァルがあったり。一時はもう止まってしまって、これ以上どこにも行かないんじゃないかと思うこともあったけど、今は違うね。これから何か面白いものが生まれてくるだろう。ベルリンには今たくさんのクラブがあるよ。過去にこれほどたくさんのクラブが存在したことはないな。しかも、みんなそこそこ上手くやっている。まだまだ成長しそうだね」
―昨年は
「日本のシーンは、他とは少し違っていると思う。とてもいいよ。日本のフェスティバルに出られたのは良いことだった。ドイツでは、あんなに大勢の人が集まると、もっと行儀が悪いし、楽しくないんだ。日本の人はイライラすることも少ないみたいで、みんなうまくやってるね。あと、大小さまざまなクラブでプレイしたけど、どこもそれぞれの特徴があって良かった。ドイツよりシーンは小さいけど、日本でプレイするのはいつもとても楽しいよ。ファンは僕らの音楽をわかっているだけじゃなくて、僕らに関する事を何でも知ってるし。ちょっと怖いくらいだ(笑)」
text FUMINORI TANIUE
translation RIEKO HASE
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TOKTOK
Temee!
(JPN) platik / plat-09d

