TYUNK
TYUNK インタビュー129号
―沖縄でのごく平均的な日常生活はどのような感じですか。いわゆるスローライフをしていたんでしょうか?
「僕は沖縄に新しいものを求めて行ったので、忙しかったですね。まずはスタジオを造りたい、自分たちの拠点をつくりたいという目標があったので、それに向かってどういう方法が良いのかというところから始めました。だから、いわゆるのんびりとした沖縄の生活をして...はいたんだけれど、朝から大工仕事、みたいな(笑)。朝8時にはきっちり起きていました」
―もともと海が好きだということですが、沖縄という場所を選んだ理由は何だったのでしょうか?
「最大の理由は、ずっと東京で活動していたので、いったん東京にいた自分を客観的に見たかったからなんです。東京を中心とした“日本”を客観的に見るにはどこがいいかなぁ、ということで沖縄にしたんです。いったんブレイク、リセットして、冷静にこれからどうやって長い人生を生きていこうかと考えていて....外国に行くことも考えたんですよ。でも外国に行ったら、なかなか戻ってくることができなそうな感じがしたんです。もしあの時点で外国に行っていたら、もう日本の音楽シーンにはいなかったかもしれない」 一沖縄のどの辺りに住んでいるんですか?
「(地図を見ながら)この辺りですね。名護市の呉我という土地です。呉我の音の響きということで、“呉我音響”なんです。この空間で感じた音をそのまま素直に出していけば、自分たちにも、いろいろな人たちにとっても良い感じなんじゃないかって思ったんですよ。沖縄の自然の中で生きている自分が感じた音楽を世の中に届けることによって、みんながすごいリラックスした気分になったり、癒されたりする。僕はそういう風なことをしたかったんです」
一沖縄に移って、早速したことはスタジオ建設ですか?
「まずは、解体作業でしたね。もともとは沖縄ソバ屋さんで、骨組みはあったんですがボロボロの建物。それを解体というか、破壊から(笑)」
一業者には依頼せずに、自分で?
「そうです。そういう衝動に駆られていたんでしょうね。東京にいた自分を破壊するっていう自己破壊みたいなところもあったのかな。すごい破壊したかったんですよ。で、その建物は本当にボロボロだったんです。廃墟状態。これならハンマーで思いっきり叩いたり電気ドリルで穴あけても怒られないし、実際はクリエイトするために破壊するわけなんで、凄い快感でしたね。最高でしたよ。これを破壊して、造って、そこで音を録って、それを届けていくんだ、まずは日本から届けるんだ、その日本の中には東京がある、そういうプランで進んで、今日までそのまま来ています。もうちょっと時間がかかるかなって思っていたんですけど、5年で来れました。僕は10年くらいかかっちゃうかもしれないと思っていたんですけどね」
一大仕事ですね。
「やっぱりハードでしたよ、タフだった。それこそ音楽をやりつつ土建業でもやろうかな、このまま大工になろうかな、と思ったときもあった(笑)。どんな仕事をやってても、音楽をやれればいいんだって思っていたしね。スタジオを造って作品をつくれる環境ができたときは、まずはこの環境がつくれたから、本当に幸せだなって思った。それで、自分の音楽がもし人に聴かれる機会がなかったとしても、『オレは漁師になってでも、音楽はやるぞ!』とか思ってました(笑)」
一スタジオ建設の技術やノウハウは自己流なんですか?
「うん。僕らはノウハウなかったんですけど、まずはハコ、空間を造って、外壁はブロックを積んだりしました。実は、最初は手づくりするつもりは全くなかったんですよ。だけど、沖縄の人たちは何でも自分たちでモノをつくり上げるんです。例えば、台風で屋根が飛んでしまったら自分らで直す。家も建ててしまう。畑、作物も自分でつくる。その心を沖縄で教えてもらったんです。で、モノというか物質が、最低限必要なものしかないんです。その少ないモノを、あの小さい島でみんながリサイクルしたりしながら、つくっていくという発想に、この消費国家、東京に住んでいた僕は(笑)、すごく衝撃を受けましたね。最初はモノがないことで、自分はやっていけるのだろうかって不安があったんですけど、それを乗り越えたあとは、つくり出せばいいんだという発想に切り替わりました。音楽も自分たちでつくり出せばいいんだ、スタジオも造っちゃえ、ってなったんです。与えられるのではなく自分からつくるんだっていう自己改革は、すごい大きかったですね」
一生き方の基本姿勢に関わる重要な問題ですね。
「もし漁師さんだったら、魚をとることは生活の本質に近い部分じゃないですか。でも、僕はそういった直接の生活のためではなくて、音楽をやりつつ生活をしているわけです。そのことを自分に問いただしてみた時期でもありました。男として、魚をとって家族に魚を食べさせなくていいのか?って(笑)。それで行き着いた結論が、みんなが魚をとる生活をして社会にいる間に、少しでも自分の音楽を聴いて元気になってもらえる可能性があるなら、僕はその役割を全うしよう、魚をとることは魚をとる人に任せて、僕は音楽をつくってみんなを盛り上げようということだったんです。あと、音楽をつくる喜びを、またそこで教わりましたね。沖縄の人たちは、本当に音楽が好きなんですよ。みんな三線弾けて、歌うたえて、踊れて、当たり前のように音楽が根づいているんです。それが多分土着の音楽、土から生まれてくる音楽なんですよ。そんな環境にいられることが僕にはすごい幸せですね。だから僕がつくる音楽は、凄く土臭くいきたいなぁ」
■呉我音響_大きく世の中を巻き込んでいく台風みたいになりたいんです。
一会社としての呉我音響を、総勢九名で今年の6月に設立していますが、沖縄ではずっとこのメンバーで活動していたんですよね?
「ええ、そうです。いままではバンド形態でずっと三人でやってきたんです。でも、今回はいわゆる“バンド”ってことを止めてみようって思ったんです」
一それはどうして?
「うーん...もうさんざんやったから(笑)。でも、人が集まって何かをつくり出すことは好きなんですよ。独りぼっちでつくり出す世界も好きなんだけど、みんなでつくり出すことも好きなんですね。だから、僕はデザインとか絵、本、写真、映像をつくれるみんなのセンスを集めて音楽をつくりたかったし、音楽を中心として、その周りに付随するものを集めてみたかったんです。僕は、文化は常に音楽が中心にあると思っているんです。必ず音楽は必要。聴覚って一番最初に感じるところだから。で、音を中心に、周りをみんなでつくっていくと、巻き込める幅、回転の幅が広がるんじゃないかって思ったんです。(呉我音響は)大きく世の中を巻き込んでいく台風みたいになりたいんです。だから僕ひとりの回転よりは、人数が多い方が巻き込む風速や規模が大きくなる。僕自身、絵とかデザインとかいろいろ好きで、そこからインスパイアされることも多いから、そういったセンスを持っている人たちの中で音楽をつくることは、凄く楽しいし。だから、まずは僕の信頼のおける、縁で集まったこの人たちを核として、僕は音楽をつくろうと思ったんです」
一そうすると、呉我音響は普通のチーム、クルー以上の存在というか...。
「ファミリーですね。このファミリーはもう一生ものだと考えています。この台風にどんどん巻き込んでいって、全人類が呉我音響になればいいなって思っているんです。そのくらい素敵なことをやっていくのが目標です。みんなでいろんなアイディアを出して、みんなで何かをつくるんですよ」
一それぞれの得意分野で、共鳴しあって大きくなっていく。
「そうです。今のところ九人編成ですけど、全人類にバンドのメンバーになってもらいたいってことですよ。呉我音響とかテュンクとか、名前は何でもいいんです」
■テュンク(TYUNK)_信じられないですよね。だけど僕は信じます(笑)。
一で、テュンクってなんですか?
「アハハ。ですよね。実は、由来はないんです。突然ある日.....ビュビューン!ってきたんですよね(笑)。で、なんか『何だ?』って思ったら、“TYUNK”ってアレが出てきたんですよ。それでメモっておこうと思って、メモ書きしたわけです。いまだにそのメモあるんですけど。でね、それが沖縄に行くと決めていなかった6~7年前くらいの出来事なんです」
一ちょうど『メイキング・ザ・ロード』前夜の頃ですか?
「そうなんですよ。<AIR JAM>をやる前くらいのときの話ですね。僕は何でもメモするのが好きなんですよ、こういう風に(鞄からメモ書き用ノートを取り出し見せてくれる)。それで、かれこれあって沖縄に行きましたと。よし、じゃあ新しい名前、名義を決めなきゃなと考えたときに、まずその“TYUNK”が挙がったんです。でもなかなか決められなくて、決めたのは5年経ったついこの間なんですけど。あとね、それで沖縄でテュンクの意味がわかったんですよ!」
一沖縄の言葉に同じ発音があるんですか?
「びっくりしたことに、“天空”って意味だったんです。天の空。“天”のことを“テュン”って言うんです。“空”は“ク”。それともうひとつ素晴らしい意味があって、子供をあやすときに『テュンクテュンクテュンクテュンク...』って言うんです。それを聞いたときに『なぬ!!!なにゅ!!!!!』って思ったわけですよ(笑)。あ~そういうことなんだ、と。焦りましたね」
一完璧に、啓示ですね。
「ですね。そういうことなのかと。それから、僕は始まりました、はい。信じられないですよね。だけど僕は信じます(笑)。もともと気持ちを持っていくところから発生する音楽は信じていたんですけどね。沖縄に行って、そういうスピリチュアルな部分っていうのは、もっともっと深くなっていきました。星空が奇麗なんですよね...そういう意味で本当にスピリチュアルなんでしょうし。都会で暮らしている人は仕事もあるし、なかなかそういう所に行けないと思うんですけど、そういう人たちにも、部屋にいながらにして少しでもスピリチュアルな気分になってもらいたいんです。星空の下で踊っているようなイメージかな」
■テュンク・ミュージック_メロディアスに生きたいですね。世の中をメロディでいっぱいにしたい。
一今回のデビューEP『テュンクス』の音は、そういった呉我での生活から自然に生み出されたと考えていいんですね。
「正にそうですね。『これから行くよ、これからまたヨロシクね』って気持ちも込められています。これから長く行くよ、っていうメッセージですね。あとは『みんなハッピーになろう、ハッピーでいようぜ』っていうメッセージもあります。焦らずにクールでいようって」
一その感覚は、聴いた瞬間に伝わってくると思います。それに1曲目のタイトルが「Magical」ですものね。
「『魔法かけちゃうぞ!』みたいな(笑)」
一冗談ぬきで、EP全体に魔法的な何かが宿っているように感じましたよ。編集部内でも『これはヤバイですね~。絶対何かがいますよね、この音には』って感じで、見解一致しましたから。
「マジですか! それは嬉しいですね~」
一イントロの導入部なんて、正に沖縄から「これからまたヨロシク、ハッピーになろうぜ」と言っているようで、そのまま引き込まれていくように感じます。
「もう、あのままエンディングに持っていきたいんですよね。ライヴではあのまま30分くらいガンガンいこうと思っているんですよ。どんどん上げていこうかと。僕、ダンス・ミュージック大好きなんですよ。小さい頃は家で結構ディスコがかかっていたりとかして、自分のルーツのひとつではあるんです」
一そうなんですか。ハイ・スタンダードで活動中の頃も、同時代のクラブ/ダンス・ミュージックに興味を持っていたんですか?
「もちろんです。僕は家でパンクなんて聴いてなかったですよ。家ではそんなにうるさいの聴かないですもん。パンクを聴いていたのは、高校生のときだけですよ、本当に(笑)。パンク・ロック・スタイルをそのままやっていたのは、やっぱり高校生の衝動、そのままそのパワーで持っていってたからなんです。で、僕はそれを転換してみたくなったってことですよね」
一ダンス・ミュージックということで、エレクトロニック機材を本格的に導入していますが、これはテュンクで初体験ですか?
「そうです。全くといっていいほど、いじってこなかったです(笑)。もちろん機械には以前から興味津々だったんです。だけど、あの頃は生楽器を使うバンド形態を取っていたんで、それに集中していたんですよ。でも余裕ができたんで、機械もいじりたいと思ったんです。機械に疎い僕にいじるきっかけを与えてくれたのがWAKA(Tomoyuki Wakayama)ですね。その世界も深いんだなぁ、ってことは分かってましたよ。だけど実際に体験してみて、あらためてダンス・ミュージックで作品を打ち出している人たちをリスペクトできましたね。あと、これから僕もいろんなタイプの音楽をつくっていきたいと思いましたね。機械の無限性というか、無限に音が出る楽器ってことを再認識したんで、これからも長い息でずっと音楽をつくっていけるイメージが湧いたんです。まぁ、僕の中では黙っていても動いてくれるから、最高のバンドのメンバーです(笑)」
一今回の4曲は、次々と作品が完成していったんですか?
「いや、最初は自分の中でも、いつ出すのか全く分からなかったんです。それでずっとつくってたんです。これは数あるデモの中の...(と、i-bookで未発表のデモ・トラックを聴かせてくれる)」
一これはもうデモというよりも、ほとんど完成している状態ですよね?
「そうなんですよね。でも自分の中でツメがどこなのか分からなくて。今回V2とディールが決まったことで、やっと『あ、出すんだ』って(笑)、『仕上げなくちゃ!』ってなりました。やっぱり機械を使うとダンサブルになりますよね~。バンバンつくりました、もう」
一実はリード・ベースというか、ベースを弾きまくっていますよね。難波さんならではのメロディ・センスやグルーヴがとても効いていると思いました。
「マジですか。あれはね、ベースを弾きながら歌ってはいるんだけど、結局ベースがメインのメロディを弾く楽器に変わってしまったんですよ。主旋律になってしまったんです」
一その歌うベースがとても要になっていると思います。例えてしまうとアレなんですが、ニュー・オーダーのピーター・フックに近い感覚ですよね。
「ああ、そうですよ。ニュー・オーダー大好きだし。僕はもともとベーシストで、ヴォーカルは後からだったんですよ。でもヴォーカルをやっていたら、だんだんライン弾き的になっていっちゃったんです。だけど今はベースだけに専念できるから、また思いっきり弾けて最高です。だから、メロディアスっていうのはテーマではありましたね。メロディっていいですよ。最近は音階がないような虫の音とか車の音とか、いろんな音にもメロディを感じたりします。音があんまりない所にいたから、逆に『音ってこういうものなんだ』って確認できたのかもしれない。うーん、メロディアスに生きたいですね。世の中をメロディでいっぱいにしたい。これどうですか?(笑)」
■テュンク・スピリット_やっぱりね、音楽を聴いて笑顔になってもらいたいんです。笑顔って大切ですよ。
一実際にはどういう感じで曲をつくっているんですか?
「頭に浮かんだイメージを音にしていくんです。まずは、突発的な音のイメージをスケッチしていく。そのスケッチの量は膨大にあるんです。普段から携帯レコーダーに録音しているんで(鞄から携帯レコーダーを取り出して聴かせてくれる)、そのフレーズを機械におとしたり、変換したり。あとはWAKAがつくってきたフレーズに僕が音をのせたり。で、やり取りしながら一曲になっていく、そういう感じかな。僕は結構生身の人間役を担当していますね。それは失わずに行こうと思っています。WAKAはより技術的な部分、エンジニアリング的な部分のスペシャリスト。それのミックス、融合ですね。今の文明のどうしようもない摂理、みたいなものがあるじゃないですか。みんなどうやっても車を使って排気ガス出しているし、文明をつくったのは人間なのに、その文明に人間がやられている現状がある。でも人間がつくり出してしまったものを全部破壊することは不可能なわけです。それと上手く付き合っていかなくちゃいけないでしょう? だからその上手く付き合っていく方法を提示したい、というのがありますね。機械とこういう雰囲気で付き合っていけば、まだ先はあるんじゃないの、と。そういうことを伝えたいというか、感じさせたいんです」
一それもテュンクの使命の一つだと。たしかに機械と生身の音が融合されていますが、余分な装飾音などなく、とてもナチュラルなままに音が鳴っていますね。
「それは自信がありますね。というのも、本当に飾れないんです(笑)。逆を言えば、呉我という土地は周りはおじいちゃんとおばあちゃんばっかりなんです。だから、自分たちのつくり出す音を聴いてくれる客観的な存在がいないわけなんですよ。比べられない。だから飾れないんですよ。テュンクのこの音は、そのままあそこで鳴った“音”なんです。僕の中では究極のピュアなんですよ。なので、それをそのまま東京に持ってきて、どれだけピュアで透き通って聞こえるのかが気になるところです。僕がヘッドホンとかで聴いた限りでは、目標にしていた発想は間違っていなかったと確認できましたけど。これからは、どんどん出していくだけですね。僕の中では、呉我に畑を作った感じで、そこでできたパイナップルが東京の人たちにも凄く美味しいと分かってもらえたら、そのパイナップルをどんどん育てられる、出荷できるぞっていう、そこまできたかな(笑)。燦々と太陽を浴びた健康的なパインをどうぞ召し上がれと!」
一健康的という言葉もいいですね。
「うん、そう。本当に健康的。僕も日焼けしているけれど、ほんと毎日海に行っているしね。みんな健康的に生きてもらいたい。やっぱりね、音楽を聴いて笑顔になってもらいたいんです。笑顔って大切ですよ。だから、(今回のEP用プレスリリースに載っている)“PUNKからTYUNKへ移行しよう”っていうのは、パンクは笑えるか、面白いかっていうことなんですよ。そういう意味ではテュンクに移行しちゃってるんじゃないのかなって、オレはそんな感じがするの。まぁ、これはヒップホップのりなんだけど(笑)。自分自慢というか、自分最高みたいな」
一ここまでのお話を聞いて、やはり難波さんの本質はパンク・スピリットだということがよく分かるのですが、昔からのハイスタのファンはどう感じてくれると思いますか。テュンクの理解の仕方で反応が違ってくるように思えるのですが、どうでしょうか?
「僕はパンクのムードを取り入れることで自分は生きていけるんだと思ったわけだから、やっぱり雰囲気はそのまま変わらないと思う。で、分かりやすく言えば『パンクって何なの?』ってことです。僕はまだパンクスになってないし、パンクスになりたいってことなんですよ。パンクスでいたい、ではないんです。パンクスになりたい。まだなれていないから。反抗するって意味でのパンクは、今その反抗する意味を問われているときではありますよね。中途半端に反抗するときじゃないと言いたい。僕は、今は手を繋ごうという発想、ピースという方向でいくべきだって思うんです。それこそ今の現状は正に'70年代の比にならないくらいだと思っているんで」
一今後の展開は、どうなりますか?
「呉我音響は、東京にもオフィスを持ちます。で、沖縄でパインを作って、こっちに持ってくると。で、みんなで東京と沖縄を回遊しながら発表していきたいですね。行く行くは、それがロンドンに行ったりだとか、ロサンジェルスやサンフランシスコ、ニューヨークに行ったりとか、そういう感じでいきたいですね。きっと僕が日本で生きてきて、日本の感覚で出すものっていうのは、向こうにとっては特殊でスペシャルなものだと思うんです。向こうに合わせるんじゃなくで、できるだけ自分の特徴を出していきたいんです。そうすることが日本の向上にも繋がるだろうし、それをアピールできるはずなんです」

