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DAFT PUNK インタビュー/LOUD142号

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ダフト・パンク流ロードムービー『ELECTROMA』、ついにベールを脱ぐ!

 今年のサマーソニックでは、ピラミッド型のステージ上で、久々の来日ライヴを行ったダフト・パンク。フランスの音楽シーンを一変させ、ダンス・ミュージックに新たな扉を開いた存在として、絶えずその動向が注視されている。  そんな彼らが、映画作品としては『Interstella 5555』に続く第二作目となる『ELECTROMA』を完成させた。今年のカンヌ国際映画祭に監督週間特別上映作品として出品され、話題になっている作品だ。
 というわけで、日本での公開を大幅に先行するかたちで、LOUDは注目の映画『ELECTROMA』をピックアップ。ダフト・パンクのふたり、トーマ・バンガルテルとギ=マニュエルに本作の話を聞いてみた。


僕らは以前から“テクノロジー対自然”という構図、コンビネーションに引かれてきた。 『ELECTROMA』のストーリーも、そこに端を発している。


―『daft punk's ELECTROMA(原題)』の構想が持ち上がったきっかけを教えてください。
「プロジェクト自体は、比較的新しいものだよ。アルバム『HUMAN AFTER ALL ~原点回帰』のときに、二本のPVを手がけたんだけど、そのとき思いついた映像アイディアの一つなんだ。そこから、“もうちょっと尺を長くしてやってみたらどうかな?”という話に発展して誕生した作品が『ELECTROMA』。実際に長編を手がけることになってから、二人で映画の世界観をつくりあげていったよ」
―監督のほか、脚本や絵コンテも、二人で手がけたんですか?
「そうだね。脚本は、映画製作会社と一緒に共同執筆した。絵コンテに関しては、僕らは撮影担当だったから、カメラ・アングルやフレーミングに関しての簡単なアイディアを出したね。もともと、ずっと昔から映画を撮りたいという願望はあったんだ。映画は僕らの活動の一環になっているよ」
―昔から映画を撮りたいという願望があったということは、子供の頃から映画フリークだったんですか?
「ぼくらは出会って、まず一緒に映画を観に行ったんだ。音楽を始めたのはその5、6年後なんだよ。まだ子供だったし、スポーツ好きではなかったから、ビデオを観たり、映画館に行ってスタンリー・キューブリックの作品を全部観たりしてた。『アッカトーネ』、ポール・モリセイの作品、ホラー映画、無声映画、フランク・キャプラやエルンスト・ルビッチといった監督の作品、みんな大好きだった。つまり、良い映画は全部好きなんだ」
―『ELECTROMA』の舞台設定は、一風変わったものですが、その着想はどこから得たんですか?
「僕らは以前から“テクノロジー対自然”という構図、コンビネーションに引かれてきた。『ELECTROMA』のストーリーも、そこに端を発している。テクノロジーはクールで利便性に優れているけれど、同時に“怖さ”を内包していると思うんだ。テクノロジーによって、人間は何か人生の本質的な部分から遠ざけられてしまうのではないか、そんな風に思えることがある。そういったテクノロジーの両義性が、本作のアイディアになっているんだ」
―ダフト・パンクがデビュー当初から追求してきたテーマを、映画化したということでもあるんですね? 「そうだね。アルバム、PV、ピラミッド型ステージでのライヴ・パフォーマンス、僕らのやっている活動全体が『ELECTROMA』とリンクしている。そのリンクは、“テクノロジー対自然”、“ロボット対人間”、“無機的なモノ対有機的なモノ”という対比をベースにしているんだ。全てがリンクしているからこそ、今回の映画は一気につくり上げることができた。シンプルでミニマルな内容ではあるけどね」 ―その世界観を表現するために、製作において注意したことを教えてください。
「“視覚のための音楽”をつくるような感覚で、独自の手法でフィルムとカメラを操ったよ。僕らのインスピレーション源は、主に絵画やシュールリアリズムだったから、インストゥルメンタル音楽のような“非日常的かつ抽象的な”手法を使ったんだ。具体的なストーリーや役者を必要としない、肉体的な感覚を分かち合うことで、観客を巻き込む手法だ。だから、まずは映像のもつ力、つまり“視覚に訴えかける力”を獲得する作業から取りかかった。その力とは、この30年くらいで映画から失われてしまったものだ」
―全体的には悲観的なトーンを持っていると感じましたが、あなた達独特のユーモア・センスも発揮されていますね。そういった点は意識していますか?
「もちろんだよ。一瞬笑ってしまうシーンが出てきたと思ったら、次のシーンでは悲しい気持ちになっているような、チャップリンの映画のような感覚を意識したね。ユーモアと悲しさは、僕らの日常生活の中にあるものでしょ?僕らを取り巻いているごく普通の感情だと思う。でも、ものの見方は一つではないから、それを探求していくことは面白いんだ。何事もコンビネーションだよ。どのシーンとどのシーンをつなげるかといった編集によっても、効果はかなり違ってくるしね」
―過去の名画をモチーフにしているシーンが多くあると感じました。また、ガス・ヴァン・サントやヴィンセント・ギャロの作品のように、最近の映画を出発点にしたような作品でもあると思います。それらの作品をサンプリングしようという意図はあったのでしょうか?
「あからさまに引用しようとしたわけじゃないんだ。ギャロやヴァン・サントの作品にも、彼らが影響を受けた'70年代の作品があるだろ? それが何で、元をたどるとどこに行き着くのか、その探究自体を取り上げたのさ。それらは当然同じものにはならないから面白い。僕らの作品では『イージーライダー』と『2001年宇宙の旅』をミックスしようとしている。すごく熱いものとすごく冷たいものをミックスして、僕らが追求し続けている感覚、つまり映画館を出たあとに記憶に残るような感覚をつくりだそうとしたんだ。こういう柔軟性のある感覚的なアプローチは、'70年代の映画に限らず、ヒッチコックや黒沢の作品にも見ることができると思う」
―ダフト・パンクがマスクをつけてロボットの容姿になった背景には、ダンス・ミュージックの匿名性をアピールする意図がありましたよね。『ELECTROMA』の主人公には、現在のあなた達自身の心情を投影していますか?
「うーん...パーソナルな内容ではあると思うけど、キャラクター自体に僕らが投影されているかという点に関して言うと、そうでもないだろうね。あまり投影されていないと思う。むしろ映画自体に、僕らのものの見方が反映されている。自分たちのセルフポートレートというよりも、僕らの頭の中のイメージ、シンボル、コンセプトを描いた作品なんだ。間違いなく僕らも観客と一緒に視覚的な旅をしているわけなんだけど、それは主人公としてではなく、カメラの反対側に立っている監督の立場としてだね。ストーリーの解釈を、みんなに委ねるようなエンディングにしてあるのも、そのためだね」
―映画製作は、音楽制作よりも簡単でしたか?
「全くそんなことはなかったよ(笑)。僕らにとって今回の映画はチャレンジだった。映画では、大勢のスタッフと一緒に共同作業をしなくちゃいけないからね。大勢の人とコラボレーションした結果、報われた感じがするね。音楽づくりの中では、あまり大規模なチームワークを経験することがないから、とても良い経験になったよ」

interview & text FUMINORI TANIUE
additional interview source Les Inrockuptibles No.548