KERRI CHANDLER インタビュー/LOUD145号
ディープでリアルな、ハウス界の重鎮
VARIOUS ARTISTS
COAST2COAST
(UK) VITAL / NRK / NRKCD029
ニュー・ジャージーのアンダーグラウンド・シーンから登場したディープ・ハウス界のカリスマ、ケリ・チャンドラー。DJだった父親の影響を受けて育った彼は、弱冠13歳でDJデビュー、'90年以降は音楽制作にも力を注ぎ、これまでに数々のフロア・ヒットを生み出してきた。近年では'05年リリースの「Bar A Thym」が、ハウス・シーンのみならず、テクノやジャズ+シーンも巻き込むクロスオーバー・ヒットとなっている。
ここに御紹介する『COAST2COAST』は、そんな彼が手掛けたミックス・アルバム。UKのハウス・レーベル、NRKが送り出すDJミックス・シリーズの第二弾だ。モニーク・ビンガムをヴォーカルにフィーチャーした自身のトラック「In The Morning」で幕開けする今作には、計14曲のスピリチュアルなハウス・ミュージックが、約80分間ノンストップで収録されている。ミックス、エディットなしの、フル・バージョン・トラックを収録したCD2も同封されているので、DJユースとしても重宝するだろう。
LOUDでは、マンチェスターのホテルに滞在していたケリ・チャンドラーを電話でキャッチ、そのDJ観と今作の制作過程について聞いてみた。
クラブでのDJデビューは13歳だけど、始めたのはそれより前。
たしか11歳くらいだったかな。
俺がもし自分の家でパーティーするなら、このミックスCDをかけるよ
(本文)
DJの道を選んで良かった
—日本のファンは、あなたのことを“ケリチャン”と呼んでいるんですけど、御存じですか?
「知ってるよ! 昔の彼女が日本人で、よくその子にケリチャンって呼ばれていたから(笑)。ケリチャンって呼び名、いいよね!」
—親しみが込もっていますよね。前回の来日は'06年の2月でしたが、あのときはDJをするだけでなく、キーボードを演奏しながら歌ったりもしていました。楽器も演奏できるようですが、あなたのバックグラウンドについて教えてください。
「あの夜はクレイジーだったな。それだけ日本酒を飲んでいたってことだけど(笑)。俺のバックグラウンドは二つ。一つは、以前エンジニアだったこと。あとは、祖父母に小さい頃から強制的にピアノをやらされていたこと。若い頃はピアノの練習に行くのが嫌でたまらなかったなぁ。で、気がついたらスタジオでエンジニアとして働くようになっていたんだ。16、17歳の時には、週末にクラブでDJをしていて、週末用にスタジオでリミックスをつくり続けていたから、いつの間にか自分の曲もつくるようになったんだ」
—DJ活動を13歳で始めたという話は本当ですか?
「クラブでのDJデビューは13歳だけど、始めたのはそれより前。たしか11歳くらいだったかな」
—そこにはDJだった父親の影響があるそうですね。
「うん、親父は憧れの存在だった。ディスコとか、ソウルフルな曲やジャジーな曲をよくかけていたよ。でも、13歳の俺がDJしているのを親父は全然知らなかったんだ。親父が外出するたびに、隠れて練習していたからね」
—こっそりお父さんの機材を使って?
「そう。親父はバイクに乗っていたから、帰ってくるとエンジンとブレーキの音が聞こえるんだ。だから、音が聞こえるとすぐに全部片付けて、何もないフリをしていたよ。だけど、ある日バレちゃったんだ。いつもより凝ったセットの練習をしていたから、片付けに手間どってしまったんだ。機材の電源が入っているのを見て“お前何やってたんだ!?”って言われたよ。俺が“DJやってたんだよ”って答えたら、“できもしないのに馬鹿言ってんじゃない”ってあしらわれてね。“できるよ!”って口答えしたら、“もし本当にできるのなら、今週末一緒にクラブでDJさせてやる! でも、もしできなかったら、はりつけの刑だぞ”って言われたんだ。それで、俺はターンテーブルの前に立って、どんどんミックスし始めたんだけど、親父は驚いて腰を抜かしていたよ(笑)」
—それでDJデビューになったわけですね?
「約束どおり、その週末にはクラブに連れて行ってもらった。親父のウォームアップDJとしてね(笑)。そのときはデスクの位置が高すぎたから、台の上に立ってプレイしたんだ。それくらいチビだったのさ。みんなには“リトル・マン”って呼ばれてた(笑)。その後、親父は、他のパーティーにも連れて行ってくれるようになった。俺のために、'70年代風の小さなスーツまで用意してくれたよ(笑)。楽しかったなぁ。お客さんは、びっくりしてただろうな。だって、遊びに来たクラブで子供がDJしてるんだから!?」
—そうですね(笑)。お母さんは心配しませんでしたか?
「俺がDJデビューしたクラブは家の近所で、夜の10時ぐらいになると母親がクラブに迎えに来てた。でも俺は帰りたくないから隠れていたよ(笑)。母親は俺を家に連れ戻そうと、必死に探していたね(笑)」
—あはは、やっぱり(笑)。でも13歳でプロDJだなんて、同級生からはさぞモテたでしょうね!
「そうそう! あの頃は最高だった(笑)。他にDJできる奴がいなかったから、スクール・パーティーのDJはいつも俺だったよ。俺はDJにならなかったら多分ものすごいオタクになっていただろうから、DJの道を選んで良かったよ(笑)」
—ニュー・ジャージーは、ガラージ系のアーティストを多数輩出しているイメージがあります。そこで培ったアイデンティティーは、あなたのDJスタイルに影響を及ぼしていると思いますか?
「あると思うよ。俺が育ったイーストオレンジには、なぜかミュージシャンやシンガーがたくさんいてね。有名なミュージシャンもよくパフォーマンスしに来ていた。音楽的には恵まれた環境だったな。問題は、俺が子供だから誰も本気に相手にしてくれないことで、それが悔しくて、絶対上手くなってやるって自分に誓って、ひたすら練習したもんだ。必死だったぶん、あの頃の方が今より上手だったかもしれない(笑)」
—いやいや(笑)。今では一流のトップDJですが、そのポリシーは何ですか?
「DJをする時もスタジオ作業と同じように、レコードのリミックスをライヴでやるようにしているんだ。日によってはバンドと一緒にやったり、レーザーを使うプログラムを使ったり、クレイジーなビジュアルで遊んでみたりもする」
—レーザーを使うプログラム?!
「レーザー・ビームに触れることで、PCに入っているサンプルをリミックスできる仕組みだよ。センサーが俺の手の動きをピックアップするようにできているんだ。ダンスフロアにユニットを設置したら、手を動かすだけでフロアからDJできる。あれを構築するのには、すごい時間がかかったよ。言っただろ!? 根はオタクだって(笑)。俺がレーザー・プログラムを使っているDJセットの様子は、YouTubeにアップされているよ。面白いから絶対に見てくれ!( www.youtube.com/watch?v=GoG6PgO_idU)」
ハウスはライフ・ストーリー
—『COAST2COAST』の第一弾は、クエンティン・ハリスが担当していましたが、それを意識しましたか?
「おかしな話なんだけどさ、第一弾の存在を知らなかったんだよ(笑)。ずっとずっと後になってから、他にも『COAST2COAST』があるって誰かに聞いて、自分でCDを買ったんだ(笑)」
—今作は、どんな風に聴いてもらいたいですか
「俺のセットをクラブで聴いているように感じてもらいたいね。俺がもし自分の家でパーティーするなら、このミックスCDをかけるよ」
—ミックスを聴いていたら、踊りに出かけたくなりました。
「それこそが今作のコンセプトだから嬉しいよ。その言葉だけで、これから一ヶ月はハッピーでいられる(笑)」
—制作でも特殊な機材を使ってミックスしたんですか?
「今回使ったのは、CDJとミキサーだけ。完全な直球勝負だよ」
—ミックスするうえで意識したことはありますか?
「自分の一番好きなレコードをミックスしただけだから、何も意識しなかったね」
—収録曲で特に気に入っている曲はありますか?
「好きな曲はいっぱいあるよ。でも、自分の作品だからってわけじゃないけど、一曲目の「In The Morning」が一番のお気に入りだね。モニークとはずっと一緒に曲をつくりたいって思っていたから。でも、曲の制作期間中に彼女とは一度も会わなかったんだ(笑)。お互い自分のスタジオで別々にレコーディングしたのさ。それなのに、彼女は素晴らしい仕事をしてくれた。まるで長年一緒に仕事をしている者どうしが、同じスタジオでレコーディングしたみたいに聴こえるだろ(笑)。ステージで顔を二回会わせたことがあるだけの仲なのにさ」
—今作には、他にもヴォーカル・トラックを多く収録していますね。
「ヴォーカルものは大好きだよ。ギグの時に、ヴォーカリストを一緒に連れて行くこともあるくらいだ。クラブとプロモーター側は、DJだけ来ればいいっていう姿勢だから、自分で知り合いのヴォーカリストに直接電話して、一緒に出てくれるように頼むんだ」
—その場合の費用はどうなるのでしょう?
「飛行機代とかの諸費用は俺が出す。当日クラブにヴォーカリストを連れて俺が現れると、何も知らないプロモーターは、驚いて色々と聞いてくるけどね。でも、そんなことはどうでもいいんだ。リスナーは、いつも聴いている曲の歌い手が誰なのかを知る必要がある」
—素晴らしい考えですね! それでは、今後の予定を聞かせください。
「日本には来年の2月に行くよ。まだ場所は全部決まっていないけど、YELLOWでやるのは確実だね。日本に行って、YELLOWでプレイしないなんてありえない。YELLOWは世界一好きなクラブだから、もしYELLOWに何か起こったら、俺はパニックになると思う。今年はほとんど海外で過ごしたから、家にいたのはトータルで4週間くらいだけだった。マジで(笑)。今日も起きた時に、自分が何処にいるのか思い出せなかったくらいだ。てっきり別の場所にいると思い込んでいて、今日はイギリス行きの飛行機に乗るんだよなって思ったところで、マンチェスターにいることに気がついたよ(笑)」
—制作の予定は、どうなっていますか?
「今年はリミックスとかEPを沢山つくったけど、いつもすごいスピードでこなすから、自分で何曲つくったのか覚えていないんだ。俺の出版を担当してくれている友達に、今年は60曲リリースしたって言われて、びっくりしたよ(笑)。'07年も、きっとそんな感じかな」
—今後の目標を教えてください。
「最近映像の会社を始めたんだ。今までは趣味程度に映像をつくっていたんだけど、今後はそれに真剣に取り組みたいね。自分の曲に、自分でつくった映像をつけてみたいんだ。今は「Bar A Thym」の映像制作に入っているよ。フィルム・ノワールみたいな白黒の映像がつくりたくて、そのために必要なテクニックをここ数年で勉強してきたんだ。それが新しい挑戦だね」
—最後に、あなたにとってのハウス・ミュージックとは何ですか?
「ベタかもしれないけど、ハウスは俺のライフ・ストーリーだよ。1枚目のレコード「Get It Off」を出したときから、自分に起こっていることを、いつも曲に反映してきたんだ。「Get It Off」は、つき合っていた彼女が殺されてしまったとき、自分の中に渦巻いていた感情を全部放出するためにつくった曲だ。ある日突然俺の人生から彼女が消えてしまって、苦しくてどうしようもなかったけど、想いを曲にすることによって、すごく救われた。それ以来、いつも自分の大切な感情を曲にしてきたんだ。ただ何となく曲をつくったことなんて一度もないよ。何かを強く感じていないとき、曲はつくれないんだ。俺の曲には意味があって、全部リアルなのさ」
interview & text SOICHIRO NAITO
translation KYOKO MAEZONO


