SASHA インタビュー/LOUD97号
-アルバムリリースおめでとうございます。イギリスでは既にリリースされているかと思うのですが、反応はどうですか?
「反応はとても良いね インストものたから、突然ポップ・チャートにランク・インされることはなかったけと、売り上げ的にも満足している。メディア、リスナー、DJ、ホームページ、それからクラブに通っている人たち‥・全方面からポジティブな反応を得られたことを嬉しく思っているよ」
-作品を聴いて驚きました。ヴォーカルものも1曲くらいあってもいいのにと思ってしまったのですが。コマーシャル性とは無縁ですね。
「そうなんだ。(笑)まさにそれかイギリスても話題になっているし、シングル・カットもないんだよ。DJギグっぽく仕上げたかったし、このままの内容で大満足だったから敢えてりヴォーカル入りの曲をレコーディングしなくてもいいと思ったんだ。レコード会社側は“歌もの”を収録して欲しい、と希望してたみたいだけど、また1からやり直すことになったら更に半年かかるからね・・・たから『今回はインストアルバムとして発売したい』と伝えたのさ。でもヴォーカルは(次の作品用)ちょうど今制作作しているところなんだよ インストものっていうのは、ラジオ向けのポップな曲と違って‥サビの部分が地味なんだ。だからリスナー側は曲自体を聴き込まないと、サビには気づかないと思う。とにかくインストものは聴けば聴き込むほど、新しい魅力を発見できるような、味のある音楽なんだよ。ポップ・アルバムには全く興味かなかったんだ。リスナーたちには僕の作品をずっと大切にして聴き続けて欲しいと願っているよCDショップでも棚の在庫か切れないような息の長い作品として残って欲しいと思うんだ。一過性のものではなく、ずっとこの世に残って聴き継がれていくような作品を手掛けることか僕の目標だったんだ。実はヴォーカル曲も作ってはいたんだけど、どうしてもこのアルバムには合わなくて、レコーディングが4分の3くらい進んた時点て最終的に『インストアルバムにしよう』って決めたんだヴォーカル曲もシングル曲もないアルバムを制作するってホントに勇気のいる決断だったけど、自分の意見を貫いて紹果的には良かったよ」
-ちなみにヴォーカル曲は誰をゲストに迎えて歌ってもらったんですか?
「何人かのフロデューサーに曲を前もって渡して決めてもらっていたんだ。その中でイギリス出身のクループのシュガー・ベイブスと1日だけ一緒に仕事したけど、彼女たちはいいシンガーだったね僕のレコード会社が『ヴォーカル曲も必要だ』って言うから最後の最後になってゲスト・ヴォーカルを入れる話も出たんだけど、結局時間がなくてインストアルバムにしたんだ今回書いた曲はもともと“インストもの”として書いた曲だったから、たとえそれかアカペラとしてもヴォーカルをかぶせたら曲そのもの価値が下がってしまうような気がしたからねもし“ヴォーカル曲”を作ることになるとしたら、曲を書く段階から貢識して関わりたいと思う普通は曲を書いてからプロダクション作業に入るのに、今回の場合はプロダクション作業か終わった段階でヴォーカルを入れる話が来たから、ちょっと難しかったね。
-作品全体としてものすごく深海に潜って行くような、何か内側に向かって行くような精神性みたいなものを感じました。実際はどうですか?そういったものを表現したかったっていうのはあるのですか?
「(笑)そう言ってもらえると嬉しいね。制作する際には、どの曲もエモーショナルな雰囲気を大事にしたんだ。インスト曲っていうのは、聴き手側かそれそれ聴いて感じたメッセージを見出すと信しているから、僕からある特定のメッセージを伝えたいとは思ってないんだ。」
-どちらかというとダンスミュージックというより何か映画のサウンドトラックを聴いているような感じもするし、と同時にこれを大きなダンスフロアで聴いて踊るのも凄く気持ちいいと思います。聴けば聴く程はまるというか…。決して一過性のものではないというのを凄く感じました。
「確かに雰囲気のあるサントラっほい内容に仕上げたからね僕はレフトフィールドの『Leftism』、マッシヴ・アタックの『Blue Lines』やヴァンゲリスのフィルムスコア等、90年代の頭から中盤あたりの作品には大きな影響を受けたから。夜出かけるときに聴きたいサントラっぽい、旅に出たときに聴いてみたいサントラっぽい音を作ったんだ。
-アルバムを制作するということは、 DJをすることとは、ある意味全く違うものだと思うのですが、アルバムを出すということはどんな意味がありましたか?
「6、7年前からずっと自分のアルバムを出す話をしていながら、時間がかかったね。DJ活動とは全く違う作業だから、どうしてもアーティストとして自分の作品を発表するまでは完全に満たされた気分にはなれなかった。今回ソロ作を出して“これで完結”って訳ではないけど、僕自身の今までのキャリアで何か欠如していた“ぽっかりと空いてた穴”みたいなものが満たされたんだ。リリースしてからは以前より気持ち良くいられるね」
-実際にはいつからアルバム制作は始めたのですか?
「結構前から曲は書き溜めていたんだけど、本格的に始めたのは昨年の3月だね。2001年の3月から10月までチャーリー(・メイ)と曲を書き、今年の2月と3月にミックス・ダウンを行った。アルバムの方向性を見つけるまで、その後トム(ジャンキーXL)とサイモンに出会い、4人での素晴らしいチームを組むまでには時間がかかったね」
-パートナーに選んだチャーリー・メイとジャンキーXL(トム)は貴重な存在だと思うのですが、実際彼等とはどのようにアルバム制作を進めていったのでしょうか?
「少し前までの数年間、チャーリーと僕はロンドン郊外の田舎にある一軒家に一緒に住んでいたんだ。そこで一緒に曲をずっと書き溜めてきたんだ。田舎だからリラックスした環境で曲が暮けて良かったね。最近チャーリーはロンドンに自分のスタジオを建てたから、曲が出来たら彼のスタジオに持っていったりもした。それからワールド・ツアーに出ているときもホテルの部屋でラップトップPCに曲を書き溜めておいたんだ。その後アムステルダムにいるトムのスタジオに出向き、本格的に作業を進めた。スタジオでは3つ部屋を押さえて、曲をグルグルと次の部屋へ渡して仕上げたんだ(笑)。1つの部屋では僕とトムが曲を書き、その昔をプログラミング担当のサイモンに渡す。サイモンはノイズや変わった音を入れながら曲を加エしてトムに渡す。そしてプロデューサーのトムが仕上げたものが、僕らのところに戻ってくる・・・っていう具合にね」
-NYのテロ事件から1年が経ちました。アルバム収録曲の「Requiem」はそのことを歌ったものだそうですが、実際あの出来事についてどう感じてますか?あなた自身に何か強く受けた影響はありましたか?
「あの事件のニュースを開いたのは、スタジオでこのアルバムを制作していた時だったんだ。スタジオのバーにあるTVの前に座り、気づけば8時間くらいずっとニュース番組を見ていた。その後、耐えられないような気分に襲われて全員スタジオに戻り、この曲を書いたんだ。美しいピアノの部分は、チャーリーが1年前に作っていたもので一心不乱に曲を書き、最終的に「Requiem」が出来た。曲が出来上がった後は1週間くらい何も手につかない状態だった」
-夕イトルの意味を詳しく教えて下さい。
「ウイリアム・シェイクスピアの『マクベス』からの引用だよ。1年前にインターネットで見つけて、気に入ったセリフを自宅のデスクトップPCに入れておいた。“短剣の幻(=air drawn dagger)がマクベスをつきまとう”という部分が気に入って、アルバム・タイトルにしたいと思ったんだ」
-マクベス夫人にそそのかされて、殺人を犯すんですよね?
「実は本はまだ読んでないんだ。僕は14歳のとき、ロンドンのシェイクスピア劇場でインターミッションにホットドッグを売る仕事をしてたんだ。(シェイクスビアの)喜劇作品、例えば『お気に召すまま』や『十二夜』は大好きだね。4大悲劇の中では『リア王』を見たよ。『マクベス』も是非時間を見つけて読みたいと思う。シェイクスピアは文学の世界で最も大きな影響を与えた作家だからね」
-去年の事故(鼓膜が破れる)はDJとしては致命的なものだと思うのですが、その時のことをよかったら教えて下さい。個人的にあなたがもうDJできないのではないかととても心配でした。
「もうすっかり治ったよ。鼓膜が破れることって、結構よくあることらしいんだけど、自然に治癒できるんだ。2、3ヶ月の間は自宅療兼をしていたんだ。ドクター・ストップがかかってDJもできなかったし、飛行機にも乗れなかった。でもそういう状態になったことによって、自分が何を一番やりたいか冷静に考えることができたし、今回のアルバム用の曲を書くこともできたんだ。今は大丈夫だよ」
-そう、ハシ工ンダに通うためにマンチェスターに移り住んだっていうのは本当ですか?その当時のことをもし良かったら少し教えて下さい。
「本当だよ(笑)。ウェールズにある大学に通っていた頃から毎月2回は友達とマンチェスターまでドライブしてハシエンダに通ったね。その後成績がヒドくてドロップ・アウトしてから、マンチェスターに住んでる友達のところに転がり込んだのさ。引っ超してからは、ハシエンダが開催される日は毎回逃さずに行けたんだ。87年から88年の括だよ。その後アシッド・ハウスがブームになり、DJをすることになったんだ」
-DJを始めてちょうど丸14年経ちますが、あなたにとってDJをすることとはどんなことですか?
「もう今年で14年目だよ一!DJ活動は僕にとっては“喜び”だね。世界中を飛び回って毎晩プレイしなくちゃいけないときは、疲れたと正直感じるときもある。でも、不思議なもので、最高潮に疲れている日に最高のDJセットが出来たりするんだよ。予期しないことが起きてしまうというか・・・。とにかく“DJ is my life”(=“DJこそが、我が人生全て”)だね!これまでの14年間はDJ活動1本に専念してきたから。これからの人生においても勿論大切なことの1つだけど、アーティストとしての新しいキャリアが始まった今、今後はアーティストとして成長することも大きな課題なんだ」
-大きな意味で今の成功を自分ではどう思っていますか?あなたが思い描いていた通りになっていますか?DJとしてアーティストとして今絶頂の時だと思うのですが、今後どんなことがしたいですか?これ以上何か望むこと、夢とかってあるんですか?
「DJを14年間やってきて、こうして『Air drawn dagger』今年アーティストとしての第一歩を潜み出せることができた。アーティストとしては(まだ新人だから)これから長い道程が待っていると思うよ。次は是非ゲストヴォーカルが入った曲もやってみたいしね。一方、DJとしても成長していきたいと思う。ここのところ忙しすぎて、自分のDJスタイルを新しく創ることができなかったからね。今回のワールド・ツアーが終わったら来年はオフをとり、DJとして新しい手法を考えたいと思っているよ。でも、今のところはホントに上手くいっていると思うし、満足しているよ(実)」
-ところでマドンナは今でもあなたにとって特別な存在ですか?
「そうだね。彼女はホントに素晴らしいアーティストだよ。でも、僕の作品にゲストとしてヴォーカル参加することはないと思う。とにかくスゴい女性だし、彼女の作品をリミックスしたことは誇らしく思うよ」
-今後の予定があれば軽く教えて下さい。
「今年はずっとUSツアーに出ていて、まだ続きがあるからまずはアメリカヘ行くんだ。その後ヨーロッパ・ツアーがあり、今年最後にアジア・ツアーが控えているよ!中国やベトナムといったような初めて訪れる囲も含まれているから、エキサイティングなアジア・ツアーになりそうだね。来年に入ったらNYに引っ超しして、少しの間アメリカに住んでみようとも思っているんだ」
-では12月に日本に来るのを楽しみにしています。
「僕も日本へ行くのをホントに楽しみにしているよ!」
インタビュー 嶋田 愛子
通訳 湯山 恵子


