1990年代にバンドでの音楽活動を経て、その後ハウスDJ / クリエイターとして躍進を遂げた人物、Sugiurumn。1980年代後期のマッドチェスター・ムーヴメントや、イビサのパーティー・フィーリングをルーツに持つ彼は、ファンキーで情熱的な、独自路線のハウスを世に送り出し、国内外のトップDJから高い評価を獲得している実力派だ。「Star Baby(Axwell Remix)」(2004)が、Ministry Of Soundのコンピレーションにピックアップされたほか、名門クラブPacha Ibizaのオフィシャル・ミックスCDを手がけ、同クラブでもDJプレイを披露するなど、ワールドワイドにも活躍している。
そんな彼がこのたび、ソロ活動10周年をマーク、それを記念したコレクション・アルバム、『Midi In Midi Out』と『Do You Remember That Night?』をリリースすることとなった。『Midi In Midi Out』は、MIDI時代の代表曲を、2010年版へアップデートしたリミックスに、新曲5曲を加えたフロア・キラー集。一方、『Do You Remember That Night?』は、10年間に発表したボーカル曲をリエディットして収めた、キャッチーな作品だ。両作をあわせて聴けば、Sugiurumnの魅力を様々な角度から楽しむことができるだろう。
ここでは、活動10年間の軌跡とアルバムへ込めた思いを、Sugiurumn本人に語ってもらった。
【ハウス・クリエイターとして活動していくと決意した10年前】
――Sugiurumnさんは、1998年に、バンドElectric Glass Balloonが解散して以降、ソロ活動へシフトしましたが、当時はどういった形で制作をスタートしたのですか?
「バンド時代につくった未発表曲を、ソロで改めて形にしたいなと考えたのが取っ掛かりでしたね。バンド・メンバーは気に入っていなかったけど、自分では良いと思っていた曲が結構あったので、それを自分の思い通りにアレンジしてみたのが、ソロ・ワークの始まりでした」
――ロック / ギター・ポップ・バンドから、DJ / ダンス・ミュージック・クリエイターへ転向して、苦労したことはありましたか?
「もともと、バンド時代からライブ・ハウスでDJをやっていたし、クラブへ遊びに行くのも好きだったんですよ。でも当時は、クラブ・カルチャーって今よりもっと敷居が高かったし、クラブ自体も、YELLOWやLIQUIDROOM、velfarreくらいしかなかったですからね(笑)。バンドを辞めて、ダンス・ミュージック・シーンで活動して行こうと決意した時、まずは髪を坊主にしました(笑)。とにかく、バンド出身だからってナメられたくなかったし、自分は真剣だという気持ちを示したかったんです」
――そうだったんですね(笑)。今でこそ、ロックとクラブ・ミュージックの垣根は無くなってきていますが、当時はやはり違いましたか?
「昔は、バンドやりながらハウスを聴いてるヤツなんて、誰もいませんでしたね(笑)。ダンス・ミュージックをつくりはじめた当初は、封印とまではいかないけど、ギターをあまり弾かなかったかな。両立できる時代でもなかったし、自分の作品を“バンドの人がつくったダンス・ミュージック”とは、思われたくなかったんですよ」
――ハウス・クリエイターとして初めて手応えを感じたのは、いつ頃のことでしたか?
「2000年に、『Music Is The Key Of Life』というアルバムを制作していて、何か物足りないように感じていたんですよ。それで、作業を一旦止めてイビサへ行って衝撃を受け、何が足りなかったか、やっとわかったんですよね。一日中踊り続けるという経験でしか、わからないものがあるんだなって思いました」
――“何か足りない”と思って、実際にイビサまで行ってしまったなんて、すごい行動力ですね。
「たしかに(笑)。イビサも、今ほど有名じゃなかったですしね。今はPachaでやっている<Subliminal Sessions>が、2000年に行った時はAmnesiaでやっていて、ディープ・ディッシュやダレン・エマーソンが出演していたんですよ。その時のディープ・ディッシュのDJが、ものすごく良かったんですよね。ちょうど、プログレッシヴ・ハウスが登場したばかりの頃で、シーンも何かが変わるぞ、という雰囲気があり、あれはヤバい体験でしたね」
――ソロ活動の初期で、そういった体験ができたのは貴重なことでしたね。楽曲制作の感覚も、バンド時代とは大きく変わったのではないですか?
「バンド時代はアナログだったけど、ダンス・ミュージックをつくり始めるとともに、デジタルに移行したので、はっきりした変化がありましたね。1997年頃に、バンドとして最後のレコーディングをやったときは、テープを使っていたんですけど、2000年にSugiurumn名義で活動をスタートしてからは、制作環境がPro Toolsに変わったんですよ。まだ初期だったので、Pro Toolsとテープを併用する、ハイブリッドなシステムでしたけど。当時は本当にお金がなくて、今じゃ考えられないような、ショボイ機材で制作していましたね(笑)。でも逆に、それを感覚とアイディアでカバーしてきたから、その経験は今に生きていると思います」




