ATARI TEENAGE RIOT

iLOUD > ROCK - ロック > ATARI TEENAGE RIOT > INTERVIEW - インタビュー > ATARI TEENAGE RIOT インタビュー/LOUD140号

ATARI TEENAGE RIOT インタビュー/LOUD140号

 はてなブックマークに登録

'90年代をトップスピードで駆け抜けたデジタル・ハードコアの軌跡


 “政治的メッセージを発信していく武器”として、1992年にドイツで結成されたバンド、アタリ・ティーンエイジ・ライオット。メンバーは、アレック・エンパイア(Programming/Shout)、カール・クラック(MC:01年没)、ハニン・エライアス(Vo)、ニック・エンドウ(Noise Control/Shout:97年加入)の四名。2001年に活動停止するまで、過激なノイズとアジテーションを発し続け、ここ日本でも高い人気を獲得してきた。  
 そんな彼らのベスト・アルバム『Best of Atari Teenage Riot 1992-2000』がリリースされる。 『Delete Yourself』  『The Future Of War』 『60 Seconds Wipe Out』という三枚のオリジナル・アルバムからセレクトされた収録18曲は、アレックが“バンドにとってとても大切な曲”と語る「Speed」を筆頭に、その神髄を捉えたものばかり。レイヴ/ハードコア・テクノとハードコア・パンクを融合し、そこに社会情勢への怒りを注入した彼らのサウンドは、現在でも強烈な説得力を持っている。
 そのセンセーショナルな軌跡を振り返るべく、アレックに電話で話を聞いた。 毎日100%のエナジーを出し切ることから得られる感覚の中毒になっていた。


―このタイミングで、アタリ・ティーンエイジ・ライオットのベスト盤をリリースすることにしたのはなぜですか?
「最近アレック・エンパイア・バンドでずっとツアーをしてるんだけど、二十歳以下の若いオーディエンスは、アタリ・ティーンエイジ・ライオットのことをよく知らないんだ。よく考えたら、アタリ・ティーンエイジ・ライオットが活動していた頃、彼らはただの子供だったんだよね。もちろん僕が前にもバンドをやっていたことを知識としては知ってるようなんだけど、ちょっと不思議なことだと感じたから、彼らにアタリ・ティーンエイジ・ライオットを紹介してあげようと思ったんだ」
―選曲の基準を教えてください。
「“これは絶対外せないな”っていう曲がいくつかあったね。例えば「Revolution Action」はバンドの象徴と言える曲だし、「Atari Teenage Riot」はバンドのピークを感じさせるものだ。一方で「You Can’t Hold US Back」や「Western Decay」は、毛色の変わった曲も入れたほうがいいと思って入れた。アタリ・ティーンエイジ・ライオットは、単に政治的でノイジーなバンドではなく、もっと深みのあるバンドだったと理解してもらいたかったからね」
―選曲はスムーズに進みましたか?
「選ぶ作業は難しかったね。3枚組にしたかったくらいだ(笑)。ずっとアタリ・ティーンエイジ・ライオットの音楽を聴いていなかったから、閉じていた重要な一章を開いたような感じもしたな」
―アタリ・ティーンエイジ・ライオットが発していた政治的メッセージは、現在の世界に対しても有効だと考えていますか? それとも、その後考え方に変化が生じていますか?
「変化というより、発展が起きているね。当時の僕達が表明していた声明には、今では違う形になるものもあると思うけど、根本的な考え方に変わりはない。そもそも思想というのは、正しいとか間違ってるとか、そういう尺度で計るものではないと思うんだ。あの頃はよく“どうしてそんなにネオナチの存在にこだわるんですか?”って聞かれたけど、今ではネオナチが政府にまで入り込んでいるだろ。それは、当時から少しずつ彼らの存在が拡大されていった結果なんだ。結局長い目で見ると、最初に僕が見過ごしてはいけないと感じたことは、やはり見過ごせない存在になっている」
―アタリ・ティーンエイジ・ライオットは、サウンド面でも過激な世界をつくり出していましたね。ハードコア・パンクのスタイルと ノイジーなエレクトロニック・レイヴ・サウンドの融合には、扇動的なイメージがありました。
「僕達にとっては決して扇動的ではなかったよ。単純にこれが僕達らしいサウンドなんだと思ってた。“こういうのエキサイティングだよね、僕達の気分ってこうだよね”って感じだった。もちろん、それまでにないサウンドをつくり出したいという気持ちはあったよ。“ミニストリーがこんな感じのやってたよねぇ”とか言われたこともあったけど、少なくとも僕達には注目されるに値するサウンドをつくっていたという自負がある」
―ハードなライヴを繰り返してきたため、活動停止直前の頃は、メンバー全員が心身共に限界ギリギリの状態だったと聞いています。アタリ・ティーンエイジ・ライオットでの活動は、あなたにとってどのような意義がありましたか?
「うまく説明できないけど、もちろんすごく重要なものだったと思う。アレック・エンパイア・バンドで活動していても、あの頃のように毎日100%のパワーを出し切るような、そんなアプローチはもうできない。アタリ・ティーンエイジ・ライオットではそれが当たり前だったんだけどね(笑)。昔は会場の外に警察やスキンヘッズがいて、いつも喧嘩が絶えないような、そんな状況下でずっとやっていたし、僕にとっての自由はそこにあった。クリエイティヴィティが約束されていて、やりたいことができた。でも、そんな生活がずっと続いて、毎日100%のエナジーを出し切ることから得られる感覚の中毒になっていたんだ。僕達はある種そういったスリリングな生活の中毒になっていたと思う。ドラッグ中毒と同じさ」
―アタリ・ティーンエイジ・ライオットが活動してきた1990年代は、あなたにとってどんな時代でしたか?
「それはいい質問だ。考えたこともなかったな。音楽に関しては、1990年代は全てがピークに達していた時代だったと思うね。グランジ、ヒップホップ、メタル、テクノ...何にしてもそうだけど、あの時代にはちゃんと評価されるべきものがあった。これから数十年したら、1990年代は20世紀最後のポピュラー・ミュージックを彩った10年として評価されるだろう。'90年代には、ミュージシャンにも冒険心があった。でも今はレコード会社も冒険をしなくなっている。音楽業界はmp3なんかのせいで巨大な被害を受けたから、リスクを負えない状況になっているんだろう。新しいもの、革新的なものに手を出しにくい状況にある。ただ、インターネットにあるのは、悪い面ばかりじゃない。たくさんの人達と繋がっていけるのは、とても良いことだし、可能性を広げることでもある。だから、僕は“90年代の方が良かった”とは言わないよ」
―現在の活動状況を 教えてください。
「新作がちょうどできたところなんだ。いろんな方向性が見えてきたから、すごくエキサイティングな気分だ。レーベルも新しく立ち上げることになりそうだ。ベルリンでは新しいサウンドが生まれていて、あちこちでパーティーも行われている。きっとあと半年もしたら日本にも最新ニュースが届くんじゃないかな」

text FUMINORI TANIUE
translation IZUMI KURIHARA