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LCD SOUNDSYSTEM インタビュー/LOUD122号

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ディスコパンク・フリークアウト


忘れないで欲しいのは、そもそもダンス・ミュージックもロックも一緒だったということだ。わりと最近になって不自然な形で分かれてしまったって事実があるんだ。


 2000年代前半のダンス・ミュージック・シーンを振り返ってみるときに、絶対に避けては通れないレーベル/アーティストの一つとして記憶されるべきではないだろうか。というくらい、現在良い仕事をしているのが、ここで紹介するLCDサウンドシステムことジェームズ・マーフィー(アメリカ人)と、ティム・ゴールズワージー(イギリス人)のニュー・ヨークを拠点とするプロジェクト、DFAだ。
 もともとUSパンク・シーンに身を置きつつサウンド・エンジニアの仕事をしていたジェームズと、MO'WAX周辺のアブストラクト・ヒップホップからキャリアをスタートさせたティムが出会ったのは90年代の後半。デヴィッド・ホルムズのアルバムをはじめとした制作現場での交流がきっかけで結成されたDFAは、ザ・ラプチャー、レディオ・4といったバンドのプロデュース、リリースを通じてじわりじわりと注目を集めるようになった。特に、LCDサウンドシステム「Losing My Edge」と、ザ・ラプチャー「House of Jealous Lovers」の影響力は相当なもので、これらはその後のダンス・ミュージックを新たな方向へと導いた。
 “USインディとUKインディの良い部分が、ハウス・ミュージック以降のダンス・カルチャー経由でいったん70年代末のポスト・パンク/ニューウェイヴ期にタイム・スリップして、再び21世紀に舞い戻ってきてみたら、なによりも新しい感覚のサウンドへと変貌してしまいました”といった調子の、マニアのココロをも唸らせる音楽的素質と、理屈抜きでリスナーをノックアウトできる強力かつモダンなノリ/サウンドが渾然一体となった音楽性を持ち、既存ジャンルのくくりからも全く自由な彼らは、今も時代の最先端を疾走している。
 1月19日、アルバム『LCD Soundsystem』(東芝EMI)をリリースしたジェームズに、東京のホテルで話をきいた。なお、レーベル・コンピレーション『DFA Compilation #2』も同時リリースされる。

―LCDサウンドシステムは、本来はあなたのソロ・プロジェクトとしてスタートしていますが、ライヴだとバンド・スタイルのパフォーマンスになりますよね。こうした活動形態を、あなた自身は切り分けて考えているのでしょうか?
「この質問はよくされるんだけど、答えはイエスでもありノーでもあるんだ。スタジオでは一人で制作するし、ライヴはバンドでやる。他にもプロデュース、レーベル運営、イベントではDJ、といろいろやっているんだけど、そのすべては関連してることなんだよ。例えばDJやってる時は一人なんだけど、そこに来ているお客さんの雰囲気でかける曲を変えるから、そういった意味ではDJは一人きりの作業ではない。同じ様にライヴも、確かに曲は自分一人で書いたものなんだけど、バンドで演奏をするっていうだけのこと。ただし僕のバンドの定義は、あくまで自分の中での定義であって、世間一般で言われてるものとは少し違うかも知れないな。普通バンドっていうのは、一緒に曲をつくって、レコーディングも一緒にやって、ライヴも一緒にやるけど、僕のはライヴだけだから。でも僕の中ではそれで納得しているから、それがバンド」

―LCDサウンドシステムやDFAの音楽には、DJカルチャーから誕生したサウンドとロック・ミュージックの両面が自然な形で表現されていていると思います。以前からその両面を有していると言われるグループは存在していますが、例えばケミカル・ブラザーズやダフト・パンクなどは、ライヴでバンド形態のパフォーマンスはしませんよね。ダンス・カルチャーが変遷していくなかで、DFA以前はダンス・ミュージックとロックが乖離する傾向が強くなっていました。あなたはこうした流れをどのように捉えて音楽をつくっているのでしょうか?
「忘れないで欲しいのは、そもそもダンス・ミュージックもロックも一緒だったということだ。こんなふうに分かれてしまったのは最近のことで、例えばシックとかウエストエンド・レーベルのレコード、いわゆる昔のディスコはバンドの演奏だけどちゃんと聴けて踊れてた。その後デトロイトやシカゴのアーティストがシンセによるダンス・ミュージックを生み出した。おそらく始めた人達は何か新しいものを目指そうと思っていて、その結果がああいうサウンドになったんだろうけど、その頃まではロックとダンス・ミュージックには隔たりがなかったんだ。わりと最近になって不自然な形で分かれてしまったって事実があるんだと思う」

―おそらく不自然な形で分かれてしまったのは、ダンス・ミュージックはコンピュータのみでの制作方法が進む一方で、バンドはバンド・サウンドに固執してテクノロジーを拒む姿勢が強まるといった風に、反発しあっている部分があったからだと思います。あなたはどう感じていますか?
「'90年代にロックの曲づくりを辞めていた時期があったんだ。いくらやっても見ているお客さんがエキサイトしてくれなくてね。あくまで自分の意見なんだけど、ロックをやる以上、ある程度のエゴがないとダメだと思うんだ。『オレ様は他とは違うんだ、特別なんだ』っていう感じがないとロックはやっていけない。で、僕は基本的にそういうのは嫌なんだよね。だから辞めたんだ。その後ダンス・ミュージックを始めたんだけど、すごく分かりやすかった。というのも、ダンス・ミュージックには人を踊らせるという大きな目標があるから。曲の善し悪しも、みんなが踊ってくれれば成功だし、踊ってくれなければ失敗っていうのがはっきりしている。ロックの場合はすごく曖昧で、“好きだ”って言われても、自分のどこを好きだと言ってくれてるのか分からない。見た目なのか、みんなが好きだと言っているバンドに似てるからなのか、とか、その曖昧さも嫌だったね」

―DFAの作りだす音楽には、テーマやコンセプトが明確にあると感じます。例えば今回の『DFA Compilation #2』にリキッド・リキッドが収録されているように、'70年代後半から'80年代前半にかけてのポスト・パンク/ニューウェイヴ期のサウンドに再びスポットを当てるきっかけをつくったと思いますし、DFAの音楽自体からも、当時の音楽性と共通する部分を強く感じます。ポスト・パンクやニューウェイヴ期の音楽をかなり意識しているということはあるのでしょうか?
「リキッド・リキッドにはものすごくインスピレーションを受けている。ヴィジュアル・アーティストと言いながら、音楽もすごくパワフルなモノをつくっていたし、すごく良かった。今回は実際に彼にあって、レコーディングもし直したんだよ。ポスト・パンクやニューウェイヴの狭間の時期は、パンクの後だったから、いわゆるミュージシャンじゃない人達がクリエイティヴなものをつくっていた。人を踊らせる、自由でフォーマットのないボディー・ミュージックがつくられていたと思う。で、たしかにその時期の音楽をレトロにはせずに現在に蘇らせられないか、ということもそもそものアイデアの一つにあったんだ。実際は、最初にジ・ラプチャーをやったんだけど、当時の音に似せるのではなくて、その人達のつくっていた姿勢を今に蘇らせるようにしたね」

―では、LCDサウンドシステムとしての初アルバム『LCD Soundsystem』ですが、最初にリリースしたシングル「Losing My Edge」が'02年ですし、アナウンスされてからも結構時間がかかっているという印象です。制作は、いろいろ試行錯誤をしたりで、大変だったんでしょうか?
「いやいや、時間をつくることがものすごく大変だったんだ。実質的な制作期間は4週間くらいしかなかったんだよ。でもアルバム一枚をつくるのに2年半もかかってしまった。2年半の中から4週間をつまみ取ってつくったんだ(笑)。例えば5曲目の「Never As Tired As When I'm Waking Up」は、ラプチャーの「Open Up Your Heart」のドラム部分ができて、自分のパートを残ってやろうとしたときに、ついでじゃないんだけど思いついてつくった曲だ。3曲目の「Tribulations」は、コンピューターのプログラミングでいかに簡単に曲ができるかということを、人にレクチャーするために45分でつくった曲。そういう感じで、ちょっとした合間につくった曲もある。ツアーやDJでも忙しかったしね」

―アルバム全体からは、たしかにじっくりと作業を積み重ねて曲をつくりあげたという雰囲気よりも、勢い一発で録ったようなエネルギーを感じます。しかもそれが良いノリを生み出していると思います。あなたには短時間で一気につくり上げる才能があるのかもしれませんね。
「そうだね。頭の中に歌詞以外は完全なイメージがわいてくる。それを忘れないうちに形にしようと、ワァーってつくるって感じなんだ。でもわりとイメージって忘れちゃうんだ。本なんかでも、読んでるときは登場人物の声とか聞こえてるじゃない? でも映画化されて実際の俳優が話しちゃうと、イマジネーションの世界の声が消されちゃう。だからイメージがわいたらすぐにつくるんだ。結構ポンポン曲のアイディアはできるよ。実は今回のアルバムも40~50曲の中から選んで9曲になったんだ」

―それはもったいない話ですね。
「頭の中にはまだある(笑)」

―歌詞はどういうことから思い付くんですか?
「現在接しているもの、身の回りのこと、全てからだよ。基本的には、僕の人生ほとんどの時間を埋めている音楽について書いてるんだけどね」

―最後になりますが、1曲目の「Daft Punk Is Playing At My House」についてです。「Losing My Edge」でもダフト・パンクという名前が歌に出てきます。ダフト・パンクからは何かインスピレーションを得ることが多いのですか?
「もちろん、影響されているよ。僕がやっている音楽を語るうえで彼らの存在は欠かせないだろう。『ホームワーク』はすごくクロスオーヴァーなアルバムで、ダンス・ミュージックなんだけどポップでもある。この二つを兼ね合わせることは難しいことだと思うんだ。で、それをちゃんと成し遂げたアルバムってことで、素晴らしいと思っているんだよ」