VUTALIC インタビュー/LOUD125号
VITALIC
OK Cowboy
(JPN) DIFFERENT/PIAS/HOSTESS / DIFB1045CDJ
フランス発、GIGORO期待のホープが鳴らす“テック・ロック”
自分の音楽には、野蛮でロックっぽい何かが必要なんだ。
待望のデビュー・アルバム『OK Cowboy』(「La Rock 01」ももちろん収録!)は、“ラップトップ1台でパンク界に殴り込み!”というキャッチ・フレーズが表すように、彼のパンク・スピリットと剥き出しのシンセ音が融合した、稀に見る快作(怪作?)に仕上がっている。彼はそれを“テック・ロック”とうまい表現をしたが、それは同郷フランスのダフト・パンクの新作にも通じる、まさに“旬”を感じさせるサウンドだ。この夏には来日ステージの予定もあり、ますますその期待値を高めている彼にメール・インタビューを試みた。
―あなたがエレクトロニック・ミュージックに夢中になった原体験は?
「僕の家族は'70年代後半~'80年代初め、ディスコに夢中だったんだ。しかも僕の父親は当時DJで、ダンス・ミュージックにすごくハマっていた。ジャン・ミッシェル・ジャールが大スターで、ベタなイタロ・ディスコが大流行していた頃だね。僕にとってこの音楽は、ダンスや未来やナイト・ライフの象徴だった。この興味は、僕がティーン・エイジャーから大人になる何年もの間、ずっと消えないままだった」
―当時、どんなアーティスト/作品を愛聴していましたか?
「一番好きなのはジョルジオ・モロダーの『ミッドナイト・エクスプレス』とスパークスでの仕事ぶりだね。それと、ブロンディの作品も好きだった。ドライでラフな感じをエレクトロニック・ミュージックに持ち込んだ、ダフト・パンクやグリーン・ヴェルヴェットもすごく好きだ。あとクラシックも好きで、ウィム・メルテンは特に好きなアーティストのひとりだな。ピアノとボーカルだけなんだけど、すごく実験的でいい感じなんだ。今挙げた数人で、僕が受けた影響のおおよそは掴めると思うよ」
―制作を始めたのはいつ頃? また、その当時から“音楽で食っていこう”と決心していたんでしょうか。
「音楽を始めたのは'97年だけど、当時僕は学生で、単なる趣味にすぎなかった。期待は何もしていなかったよ。たまにライヴをやって、毎年1枚ずつレコードをリリースしていたけど、結論を出す前にきちんと学業を修了させたかったんだ。でも'00年に卒業して「Poney EP」をリリースする前に、初めて自分にチャンスを与えてみたくなった。何かをやり遂げられるか挑戦してみようってね」
―「Poney EP」収録の「La Rock 01」によって、あなたの名前は世界的に広まりました。この曲が生まれた経緯について教えてもらえますか?
「ロックっぽいテイストのベース音が、長時間にわたって上がり続けるアイディアが浮かんでね。だけどそれをやってみても結果に納得できなくて、違う音とテンポで何回か試しているうちに、ちょうどいいポイントに到達したんだ。僕は満足だったけど、ハードで速すぎる曲だからヒットしないと思っていたよ。それなのにみんな、僕がアルバムの中で一番気に入ってる「Poney Part 1」じゃなくて、あの曲を選ぶんだからね」
―この曲がフランスのレーベルではなく、ドイツのGIGOLOからリリースされたのはなぜですか?
「ザ・ハッカーとミス・キトゥンから、GIGOLOの面白い話を山ほど聞かされたからだよ。フランスのシーンは退屈だったけど、あそこでは何かが起きていた。まずリリースしている作品が好きだったし、“ジゴロ・スピリット”があって、他のテクノ・アーティストとは一線を画していた。だから「Poney EP」が完成した時、デモを2つだけ送ったんだ。F-COMMUNICATIONSとGIGOLOに1本ずつね。先に返事をもらったほうからリリースしようと思ってたんだけど、ヘルが最初に電話してきたんだ」
―その際ヘルとは、どんなやり取りがあったんですか?
「もともと全く面識はなかったんだ。リリースの数週間前に初めて会って、“EPは必ず成功するから、僕を信じろ”とだけ言われた。ヘルはあんまり話し好きじゃないから、彼が言ったことはそれだけだったね」
―「La Rock 01」は、テクノDJのみならず、2メニーDJs、LCDサウンドシステム、フランソワ・ケヴォーキアンらもヘビー・プレイしています。ジャンルの垣根を越えて支持されていることについて、どう考えていますか?
「もちろんとても嬉しいよ。でも君がいま名前を挙げた人より、DJ以外の、ビョークみたいな人が僕の作品を好きだって言っているのには、もっと驚いている」
―アルバム・タイトル『OK Cowboy』にはどんな意味が込められていますか?
「まず、みんなが僕に「La Rock 05」とか「Poney Part 11」みたいなことを期待しても、僕はその通りにするつもりはないってこと。自分を繰り返すことはできないし、音楽で嘘をつくのは大嫌いだからさ。次に、僕が住んでいるのはパリでも大都市でもない、フランスの田舎だってこと。それと、“Poney”に面白おかしく関連づけてみたっていう理由もある」
―ギターを全面にフィーチャーした最新シングル、「My Friend Dario」は“テクノ版ニルヴァーナ”と一部で形容されています。この評についてどう感じますか?
「ニルヴァーナそのものを真似しているというよりは、曲の持つエネルギーが似てるんだと思う。僕は生粋のロック野郎じゃないし、ディスコやディスコ・パンクの方が好きだから。でも自分の音楽には、野蛮でロックっぽい何かが必要なんだ。そのテック・ロックの荒々しい部分が似ているのかもしれないね」
―ちなみに“Dario”とは誰のことを指しているのですか?
「ダリオは僕がつくり出したキャラクターで、自分の分身だよ。僕には自分と対話したり、自分にお話をしてあげる子どもみたいなところがあるから、そのために分身をつくったんだ。ダリオ以外にも架空の人物は何人かいるよ。このキャラクターたちは、音楽にストーリー性を持たせるのに便利なんだ。車の歌をつくりたかった時、イタリア人で女たらしなダリオはぴったりなキャラだった。彼はクールでハンサムだし、かっこいいイタリア車を持ってる。でも、運転する前に酒は飲まないんだ」
―他の新曲で、特に気に入っているトラックはどれですか?
「ずっとやりたかった曲だから、一番は「Dario」だね。「Polkamatic」にも満足している。このポルカは幸せなのか、それとも悲しいのかわかりにくい。そういった幸福と悲哀のバランスは、いつも僕に大きな影響を与える。あと「Repair Machines」もいいよね。ダンス・ミュージックだと「No Fun」はかっこいいし、次のシングルはあの曲をもっとミニマルで新しいビートに焼き直したものをやりたいと考えてる」
―かつてローラン・ガルニエは、“フランスはテクノ不毛の地だ”と評していました。そんな土地で活動することの難しさはありませんか?
「彼がそう言ったの? 彼らしくない発言だな。テクノにとって不毛の土地なんてないし、人によるよ。フランスはスペインとは比べものにならないかもしれないけど、ここにはいいミュージシャンがいて、いいクラブがある。イギリス人の“ダンス・シーンは死んだ”っていう話、ジャーナリストの“面白いことなんて何もない”って話、ミュージシャンが“クラブはゴミ溜めだ”って言う話。全部うんざりだよ。僕には不満を聞く気は全くないね」
―このアルバムには、いわゆるフレンチ・タッチとジャーマン・テクノが絶妙な形でブレンドされています。フランスとドイツの架け橋になってやろうという意識はありましたか?
「アルバムの最終的な仕上がりは予想外だった。ケーキをつくる時に色々な材料を混ぜても、ケーキが焼き上がるまでは味見できないでしょ。でも完成してから、“フランス人のミュージシャンによってつくられたアルバムなのは明確だ”って言われたよ。ただ、ドイツのことは考えてなかったな」
―この夏、日本のビッグ・イベント
「まだ模索中だよ。日本や日本の人たち、フェスティバルについてはいい話をたくさん聞いてるから、もし招待されることがなかったらって最初は心配だった。でもやっと具体的な話になってきたから、すごく興奮しているよ。これから数ヶ月の間にする旅行の中で、最もエキサイティングな場所のひとつになるだろうね。日本でプレイするのが待ち遠しいよ」
interview & text AKIHO ISHII


